坂場一久のモデル【高畑勲】~回顧展で垣間見るその実像

坂場一久のモデル【高畑勲】~回顧展で垣間見るその実像

NHKの朝ドラ「なつぞら」は、戦後のアニメーション黎明期が舞台となっています。主人公・奥原なつの相手役は、架空のアニメーション制作会社である東洋動画の演出部に所属していた坂場一久。そのモデルになったのが、日本アニメ界の重鎮だった高畑勲さんです。

時代考証を担当する小田部羊さんは、高畑さんの盟友として幾多の作品を共に生み出したアニメーターであるため、坂場には高畑さんの姿が色濃く投影されいるとも言われています。それでは、

「高畑勲という演出家は、日本のアニメに何を遺したのか」

その答えを探るため、東京で2019年7月2日から10月6日まで開催されている「高畑勲展」(於:東京国立近代美術館)を見てきました。今回はその報告です。(以下敬称略)

⇒なつを含めた東洋動画の実像については、こちらの記事をご覧ください。

壮大かつ、バランスの取れた展覧会

高畑勲監督が亡くなってから、初となる今回の大々的な回顧展。彼が大学を卒業して東映動画に入社してから、遺作となった「かぐや姫の物語」までの足跡が、当時の資料と共に余すことなく紹介されています。

およそ60年にわたる数々の業績。展覧会の規模は巨大になると同時に、「散漫なものになっているのでは」と心配しました。しかし、見終わった感想は、実際嘘のように上手くまとまったというものでした。その理由の一つは、古ぼけたひとつの展示物だったと思います。それは・・・

未発表の「ぼくらのかぐや姫」という企画メモ。

高畑が東映動画に入社して間もなく、「竹取物語」のアニメ映画化のプランが会社内で持ち上がりました。その時、ストーリーのアイディアが社内募集され、高畑は応募こそしなかったものの、自分の構想を詳しく解説したメモを残したのです。

「いま、竹取物語をアニメ化について」という自らの命題に対して、高畑はメモの中で「真の愛を探しにきたかぐや姫が、それを地球の男たちに求めたが、得られず、月に帰っていく話」という主題に加え、 「各キャラクターは、簡略化してよいが抽象化のうちにも十分人間の姿を感じさせねばならない」と記しています。そして、「絵巻物を研究し、その描法を生かす」と手法まで言及し、遺作「かぐや姫の物語」で実行することになったコンセプトが、20代の高畑の頭のなかには既にあったことを思わせます。

展示の最後のコーナーは、当然のごとく「かぐや姫の物語」の部屋。つまりこの展覧会は、「かぐや姫」で始まり「かぐや姫」で終わることによって、初心を貫いた高畑の純粋なモノづくりの姿勢で括られているわけです。

高畑演出の起源とは?

「なつぞら」の中で、なつが坂場の目標を問いかける。「どういうアニメーションを目指しているのですか」。そして坂場は次の様に答えます。

「ありえないことも本当のように描くことです。違う言い方をするならば、ありえないことのように見せて、本当を描くこと」

展覧会の中で見られるインタビュー映像でも、高畑は同じようなことを言っており、そのために徹底的に考え抜いた痕跡が展示物の中に見られました。

例えば演出補として付いた「安寿と厨子王」の製作のために作られた絵コンテです。絵コンテとは、「どのような映像が、どうのように構成されるか」を示したもので、映画やアニメの設計図にあたるものです。そのあちらこちらに高畑によるメモ書きが。どれも登場人物の心情を効果的に表現しようという意図が感じられました。

そして長編アニメの初演出となった「太陽の王子ホルスの大冒険」では、その徹底ぶりがさらに際立ちます。それを如実に表したのが、

緊張の起伏を一覧できる表「テンション・チャート」です。

各シーンの緊張を「閉・開・動」に分け、さらにそれぞれの度合いを「青・赤・緑」に色分けして香盤表*に書き込んでありました。もちろん演出家がシーンごとの緊張感を考慮するのは当然ですが、それを画で表現するアニメーターに確実に浸透するようにしたわけです。

そういった高畑の演出の礎になっていたのは、アニメを子供向けという幼稚なものではなく、「思想」を託すことが出来るメディアと捉える考え方でした。

「太陽の王子ホルスの大冒険」 では、北欧の架空の集落で活躍するヒーローの物語を見せつつ、どこの国や地域でも課題となる人が団結して難題に立ち向う難しさを描いています。

*香盤表: ドラマなどの撮影を行なう際に事前に作られたスケジュール表の一種で、各シーンごとの場面や登場人物などが事細かく書かれていている。

民主的な制作現場を目指す

「なつぞら」で登場する短編製作の下りで、坂場は構想の段階からアニメーターを積極的に参加させようとします。「どんなにありえない話でも、本当のように見せる力は、アニメーターにしか発揮できないんです」。高畑の呼びかけで、アニメーターたちはキャラクターのイメージだけでなく性格付けまで託されました。

実際、「太陽の王子ホルスの大冒険」では、アニメーターたちが制作意図の領域までまで積極的に参加をしたと言われています。

当時、労働者の待遇の改善を求める社会の動きが激しいなか、自ら労働組合の幹部を務めている立場もありましたが、高畑が自ら進んでスタックの力を民主的なかたちで最大限に引き出そうとしたそうです。

その最たるものが、演出意図のスタッフへの全面開示です。

すでに紹介した場面ごとの緊張感を記した「テンション・チャート」も、主要アニメーター全員と共有していたようです。

そういう製作環境のなかで行われたキャラクター設定。特に難航したのが主人公のホルスと並んで物語で重要な役割を担う少女ヒルダだったといいます。善と悪を併せ持つこの難しいキャラクターの設定を、高畑は複数のアニメーターに依頼。紆余曲折を経て、先輩格の森康二のよる深い悲しみを秘めたヒルダが誕生しました。

ヒルダ(展覧会の図版)

工夫を凝らしたテレビ時代

高畑の演出家デビューは、初のテレビアニメ「鉄腕アトム」の後を追うように作られた「狼少年ケン」でした。展覧会では、本人が演出した同アニメの第72話「誇りたかきゴリラ」の映像を見ることが出来ます。

奇想天外な設定のこのエピソード。ケンと格闘するゴリラの様子を、別のゴリラたちが、なんとテレビで見ているのです。案の定、ゴリラはケンに負けるのですが、叔父ゴリラがテレビ向かって怒ると、テレビの中の甥ゴリラが詫びるというオチになっています。

高畑は当時の仕事を「一話完結なので、滑稽の話から深刻な話まで、様々な演出の方法を試みることが可能だった」と振り返っています。

そして、本格的にテレビアニメへ取り組んだのが、1970年以降。展覧会では特に「アルプスの少女ハイジ」「母を訪ねて三千里」、そして「赤毛のアン」を中心に、多数の原画・セルに合わせて放送映像まで流す力の入れようでした。

テレビアニメの製作で高畑が直面したのは、極端に短い制作期間の問題。毎週、30分のアニメを制作するのは過酷な労働と共に、合理的な制作スタイルと技術が必要でした。

もともと「フルアニメーション(すべてのコマの描く)」を信望してきた高畑にとって、テレビアニメが強いる「リミテッドアニメーション(動かない画を多用する)」をどう取り入れて豊かな映像するか、難しい課題だったようでした。

そのテレビ時代に考案されたのが「レイアウト・システム」でした。

それまでは、画の並びを示した絵コンテから原画の作業に移行しますが、その間に「レイアウト」という場面のシーン設計を入れたのです。 これがあると、原画や動画の際、場面の立体的な状況を踏まえて作成できるので、出来上がった映像に臨場感が生まるようになりした。

盟友との別れ、そして原点回帰

今回の展覧会、改めて実感したのは高畑と宮崎の深い関係です。 「太陽の王子ホルスの大冒険」 から本格的に始まった二人の協力関係は、その後、テレビアニメで完成の域に達しました。

展覧会で流れていたインタビュー映像のなかで、高畑は「宮崎さんがいたから、自分はここまでできた。彼もそう思っていると思う」というようなことを話しています。その後のジブリ作品での共同作業を含め、この二人の出会いは日本アニメ界の幸運だったと言えます。

そんな二人の協力関係も、高畑の監督作品「おもいでぽろぽろ」を最後に終わります。それ以後、高畑は自分だけの世界に邁進。そこには、日本社会への熱くも冷静なまなざしがありました。

そして、奥深いメッセージ性と共に、それまでの庶民的な娯楽性を失っていったようです。(これは三船敏郎を抜擢しなくなった黒澤明監督と重なるところが興味深い)

展覧会の最後の広い部屋は、やはり「かぐや姫の物語」関係の資料で埋め尽くされていました。特に目を引いたのは、

生々しい筆さばきそのままの動画の数々

大スクリーンには、それまでの淑やかさから狂ったような形相で屋敷を飛び出し、疾走して行くかぐや姫。遂に表現を許された高畑の源流が画面いっぱいにはじけたようでした。

それはまさに「ぼくらのかぐや姫」で高畑が目指したかぐや姫の姿でした。■