【ブルース・リー】の墓はどこ?~知られざるアメリカでの足跡

【ブルース・リー】の墓はどこ?~知られざるアメリカでの足跡

中国(香港)映画を中心に、世界のアクション映画に影響を与えたブルース・リー。1971年に香港で公開された「ドラゴン危機一発」から1973年の「燃えよドラゴン」に至る4本の主演映画が軒並み大ヒットし、あっという間に世界的アクションスターに上り詰めました。

そんな彼にも辛い下積み時代がありました。その地はアメリカ。今回は西海岸旅行の合間に立ち寄ることができるブルース・リーの足跡をご紹介します。

シアトル~武道家の出発と安眠の地

ワシントン州シアトルと言えば、先ごろ引退を表明したイチロー選手が所属していたマリナーズの本拠地として有名な街です。今年から埼玉西武ライオンズから移籍した菊池雄星投手が所属していますね。

実はこのシアトル、ブルース・リーが武道家として本格的に活動を始めた記念すべき場所なのです。

シアトル
現在の人口は約63万人

ブルースはアメリカの市民権を持っていました。サンフランシスコで生まれたからです。父親が率いる劇団が、ちょうど町を訪れているときにブルースが誕生したのです。ブルースの本名でもそれは分かります。

李振藩(リー・ジェンファン)。「藩」はサンフランシスコを意味し、「その地を揺るがすほどの人物になってほしい」という願いが込められていたようです。

1959年、ブルースは18歳になる直前、香港から単身渡米。サンフランシスコに数か月住んだ後、シアトルに移ります。

彼はこの町で知り合いの中華料理店で住み込みで働いていました。その場所は、マリナーズの球場からほど近く、日系人含むアジア系の人々が多く住むインターナショナル地区(☆)とフリーウェイ5号を挟んだ北側。 1122 Jefferson Street (①)です。現在は病院の駐車場になっています。

レストランで働きながら高校に通い、そして地元の名門ワシントン州立大学哲学科に進学します。ブルースは勉学に励むなか、少しずつクンフーを人々に教え始めました。インターナショナル地区の一角でも、仲間に手ほどきををするブルースの姿があったといいます。大学時代になると、自身の名前を冠した道場を開くまでになりました。

彼が眠る墓地も、シアトルにあります。

町の中心部から北に約3.5キロにあるレイクビュー墓地。(②1554 15th Ave E) 結構広い敷地の奥まったところに、ちっと変わった墓石が二つ。褐色の墓石がブルース。その右側には、父親の32歳よりさらに若い、28歳で亡くなった息子、ブランドンが眠っています。

(左)ブルースの墓(右)息子・ブランドンの墓

私は2回ほど尋ねましたが、この墓地は高台の住宅地にあるのでタクシーを使う方が無難です。インターナショナル地区から20分ぐらいかかったと思います。最初に行ったときは、ブルースの墓石がなかなか見つけられずに、タクシーの運転手が一緒に探してくれました。

「ブルースの墓がなぜシアトルにあるのか?」という疑問が良く聞かれますが、はっきりしたことは分かりません。ただ、彼が武道家として覚醒した場所ということがその理由にあるのではないのでしょうか。

オークランド~道場主の時代

シアトルで人々にクンフーを教え始めたブルース。大学で知り合った教え子の白人女性のリンダとともに、その後、カリフォルニア州北部の町、オークランドに移り住みます。この町はサンフランシスコの東側の対岸にあり、ベイブリッジを車で渡って15分。バスで乗り継ぐのも大変なので、レンタカーで行くのが最適かと思います。

この町では、彼がリンダと新婚生活を送っていた家を見ることができます。(① 3039 Monticello Avenue)武道仲間で友人のジェームズ・リー宅の二階に住んでいました。いまでもその時の家が建っていると思われます。(2014年9月現在)ただ、その地区は、一般の住宅地の中にあるので、訪れる際はくれぐれも住民の方の迷惑にならないように。写真を撮るときも十分配慮してください。

オークランド
奥に見えるのがベイブリッジ

そして、もう一か所。オークランドでブルースが道場を開いていた場所です。高校から非常に近いという好条件のこの場所。残念ながら現在はトヨタのディーラーになってしまっており、当時の面影はありません。(② 4145 Broadway) どうか想像力を働かせて、生徒に熱心に教えるブルースの姿を思い描いてください。

ロサンゼルス~聖地での挫折

日本人が最も訪れるアメリカの観光地のひとつ、ロサンゼルス。映画の都というだけあって、町中に有名な映画やスターにまつわる場所が多くあります。ブルースにとっては俳優として本格的に活動を始め、そして同時に挫折も味わった町です。

ロサンゼルス
ブルースは、映画の都でブレイクと苦渋を味わった

1964年にロサンゼルス近郊で行われた武道大会に出場し、ハリウッドのプロデューサーの目に留まったブルース。テレビドラマ「グリーン・ホーネット」での準主役が決まり、いよいよロサンゼルスに移ってきます。しかし、アジア系の移民にとってハリウッドの壁は厚かった。ドラマが終わると、露出がぐっと減り、忍耐の日々を送るようになりました。

ブルースはロサンゼルス時代、何回か引っ越しを繰り返したようです。テレビのスターになり収入も増えたのか。その一つは、現地の高級住宅街、ベルエア地区にあります。( 2551 Roscomare Road )

カリフォルニア州ロサンゼルス地区 ⒸGoogle

クンフーを教えたり、指導することで築き上げた映画界でのコネを生かし、自分の企画が通ったと思いきや、自分が演じるつもりの主役の座を白人俳優に奪われる始末。失意のうちに帰った故郷の香港で、主演映画のオファーを受けることになったのです。そのあとは、皆さんご存知のサクセスストーリです。

しかし、運命の皮肉か。夢にまで見たアメリカ映画「燃えよドラゴン」のハリウッド・プレミアを待つことなく、1973年7月20日、ブルース・リーは天に召されたのでした。■

(ご紹介した住所は一般の方が住まわれています。訪問の際は、ご近所を含め失礼のないようにくれぐれもご配慮ください)