映画【ゴッドファーザー】は実話なのか?~モデルになった実在の人物

映画【ゴッドファーザー】は実話なのか?~モデルになった実在の人物

映画史上、最も評価される作品のひとつと言われる「ゴッドファーザー」(1972)。アカデミー賞では、作品賞を含む3部門でオスカーを獲得しました。興行的にも成功し、その後、続編である「Part2」(1974)、「Part3」(199)が制作されました。

観客を引き付けた理由の一つが、あまり知られていないニューヨークのギャング「マフィア」(イタリア系移民の犯罪組織)の世界を描いたことです。それは、日本映画の「やくざ映画」にも通じるものがあります。

絶対関わりたくないけど、見たい!

という人々の欲求をうまく掴んだわけです。

この映画はその欲求を満たす、タブーともいえるアメリカのマフィアの人々の実像が余すところなく描かれています。そのため、よく聞かれる質問は、

物語が実話に基づくものなのか?

または、

登場人物のモデルになった実在の人物なのか?

ということです。特に気になる登場人物は、下記の方々です。

  • ヴィトー・コルレオーネ(マフィアの大ボス)
  • マイケル・コルレオーネ(ヴィトーの三男)
  • ジョニー・フォンテーン(人気歌手)
  • ジャック・ウォルツ(映画プロデューサー)
  • モー・グリーン(ラスベガスのカジノ王)

またこの映画は、今や誰もが認めるA級映画ですが、制作時には本物のマフィアによって撮影が中止に追い込まれる危険もあったB級映画だったことは、あまり知られていません。

そこで今回は、これらの疑問や知られざる裏話を、ざっとご紹介したいと思います。

 

映画「ゴッドファーザー」は実話なのか?

カクテルの名前でも知られる「ゴッドファーザー」という名称。一般的にはカトリックの洗礼の際の「名付け親」という意味で使われますが、マフィアの世界ではそれ以上の意味を持っていると言われます。それは、

マフィアのボスまたはファミリーのトップに対する敬称。後見人的な存在として生涯に渡って構成員やその家族を保護する代わりに、尊敬や恭順を受ける存在。

この映画では、この意味がそのままテーマにもなっています。それでは、

映画のストーリ自体は、実話に基づくものなのか

答えは、NOでありYESでもあります。

原作のマリオ・プーゾは、イタリア系アメリカ人の作家で、マフィアともつながりがあった人物です。まず、よくあるのは「自伝を小説として書いた」というパターンですが、

「ゴッドファーザー」は、彼の人生を描いてモノではないようです。

彼は、マフィアや関係者をリサーチして得た情報をもとに、自分なりにアレンジして、架空のマフィア・ファミリー、コルレオーネ家の物語として小説化しました。よって物語で出てくるエピソードは、

基になる実際の事件や人物がモデルになっている。

ということで、気になるは「そのモデルとは誰なのか」。次にその辺りを紹介しましょう。

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モデルになった実在の人物たち

「ゴッドファーザー」で次々に登場するマフィアの人物たち。それぞれが、実在の人物と関係があるとされていますが、今回は、その中でも物語で重要な役割を果たした登場人物について取り上げます。

ヴィトー・コルリオーネ

映画の主人公であるヴィトー・コルリオーネは、コルリオーネ一家のボスででありニューヨークの5大ファミリーのリーダー的存在です。そのモデルになっている人物は、

一人の人物ではないようです。

原作者プーゾは、ヴィトーを数人のマフィアのボスを組み合わせて創作したと言われています。その暗黒界の顔役の主な面々は以下の通りです。

フランク・コステロ(1891~1973)

沈着冷静で暴力を好まない戦略家。ギャング界の「総理大臣」と呼ばれた。映画のヴィトーも、問題の解決方法として暴力を避け、話し合いで収めようとした。

ジョー・プロファチ(1897~1962)

表向きはオリーブ油の貿易商をし、裏で非合法な活動をしていた。映画のヴィトーもこの点は同じ。

カルロ・ガンビーノ(1902~1976)

マフィア界での勢力を背景に、外交や策略を駆使し、当時の五大ファミリーの首領的役割を担った。映画のヴィトーも各ファミリーのボスから尊敬か恭順を受けていた。

ヴィトー・ジェノヴェーゼ(1897~1969)

権力欲が旺盛なボスだったが、家庭では平和的な生活を求めた。子供たちに犯罪と関わらない職業につかせた。映画のヴィトーも、三男マイケルを犯罪とは無縁な一般人になるように仕向けていた。

この中で、様相として一番似ているのは、フランク・コステロでしょう。ヴィトーを演じたマーロン・ブランドは、コステロが議会公聴会で証言する様子を見ながら、あの「かすれ声」が出るように練習したようです。

マイケル・コルリオーネ

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ヴィトーの三男のマイケルは、大学に進学すると軍隊に志願。その後、父親の意向に反して一家のボスになりました。そのモデルとなったのは、

ジョゼフ・ボナーノ(1905~2002)

と言われています。アメリカ生まれのマイケルと違い、ボナーノはシチリア島からの移民です。一旦、シチリア島に戻りましたが、その後再び渡米し、ギャング界で名前を挙げました。

様々なビジネスに手を広げて財力を蓄えたのち、「ゴッドファーザーPart2」でも登場したキューバでの全米ギャングの会議にも参加しています。

またマイケルが、ラスベガスに縄張りを移そうとしたように、ボナーノもアリゾナに拠点を移しました。

ジョニー・フォンテーン

映画の最初のシーンとなるヴィトーの娘、コニーの結婚式。そこで華やかに登場するのが歌手のフォンテーンです。結局は、女性問題で降板となった「映画の主演に復活できるように取り計らってほしい」と、ヴィトーに泣きついたのでした。

この役のモデルになったと言われているのが、かの有名な歌手の、

フランク・シナトラ(1915~1998)

彼はマフィアの大物、サム・ジアンカーナ(1908~1975)やカルロス・ガンビーノなどつながりがあったとされ、歌手として落ち目になっていたころハリウッド映画の「地上より永遠に」(1953)に重要な役をゲット。彼はこの映画でアカデミー助演男優賞を受賞し、再び脚光を浴びていくことになります。

映画でもフォンテーンは、映画の出演によって人気者として復活することになっています。

シナトラ本人はフォンテーンとの類似性に腹を立てていたようで、ロサンゼルスで行われたパーティで原作者プーゾを殴ったという逸話もあります。

ジャック・ウォルツ

後半の衝撃的なシーンは、映画プロデューサーのウォルツが朝起きて、所有する馬の生首を寝床で発見するシーンです。上述のフォンテーンを映画出演を受け入れさせるための、ヴィトーの脅しでした。

実際、こういう出来事が実際起きたのかどうかは不明です。が、ウォルツのモデルになったハリウッドの映画プロデューサーは分かっています。それは、

コロンビア映画の社長、ハリー・コーン(1891~1951)

コーンはコロンビア映画を兄らと共に創業し、強権的に会社を支配しました。また、マフィアとも関係があったともされ、会社の下部を取得するために多額の資金の供与を受けたともいわれています。

また、先に紹介した映画「地上より永遠に」はコーンの制作した作品で、フォンテーンのモデルとされるフランク・シナトラを別の俳優が有力だった重要な役にキャスティングしました。当時、コーンはシナトラのことを好ましく思っていなかったと伝えられており、これも映画と符合します。

モー・グリーン

眼鏡をかけた瞬間、撃たれて死ぬラスベガスの実業家、モー・グリーン。その奇抜なファッションは映画の中で浮き気味ですが、それもそのはず。モデルとなったのは、俳優までやったという

ユダヤ系ギャング、バグジー・シーゲル(1906~1947)

彼はグリーンがそうであったように、砂漠の中にある町・ラスベガスをカジノを活用して繁栄させました。マフィアの大御所、マイヤー・ランスキー(1902~1983)と強いつながりがあったとされています。

 

ラスベガスのフラミンゴホテル

もともとニューヨーク出身でしたが、その後、ロサンゼルスに渡り、ヒットマン(殺し屋)をするなど武闘派として鳴らしました。そして、ラスベガスでのカジノ開発を始め、有名なフラミンゴホテルを1946年にオープンしました。

しかし翌年、ビバリーヒルズにある恋人の家で、射殺されたのです。

マフィアが映画を妨害した事実

物語のエピソード、そして登場人物のモデルなど、実際のマフィアの姿が投影された「ゴッドファーザー」ですが、そのせいで撮影がマフィアによって中止に追い込まれる可能性がありました。

「ゴッドファーザー」の映画化が発表されると、ニューヨークのマフィアのボスは、メディアの表と裏で、制作を中止するように圧力を掛けたのです。彼らをもっとも逆なでしたのが、

「マフィア」という言葉が使わる可能性があること。

彼らの妨害工作は手が込んでいて、イタリア系アメリカ人の人権連盟なども使って「イタリア系イタリア人のイメージを貶める」という公明正大な抗議を行いました。その一方で、裏で関係者への脅迫があったのか、プロデューザーのアルバート・ルビーは、撮影中、乗る車を頻繁に変えて身を守っていたといいます。

ゴッドファーザーの舞台になったニューヨークのリトルイタリー

結局、撮影は無事に続けられましたが、それは制作側がマフィアが出した2つの条件をのんだからです。それらは、以下の通りです。

  • 映画内で「マフィア」という言葉を使わないこと。
  • ワールドプレミアの収益を、コロンボの人権組織に寄付する事。

この件に関して、映画のプロデューサーが人権連盟の事務所に度々出向いて交渉した結果、撮影を完了することができたというわけです。

監督が首を切られる可能性があった

プロデューサーが命の危険を感じながら制作が行われた「ゴッドファーザー」。しかし、制作内部の反対で撮影が止まる危険性がありました。それは、

監督のコッポラが「首を切られる(解雇)」可能性があったからです。

この映画を製作していたパラマウント映画は、「ゴッドファーザー」を安上りなB級映画にするつもりでした。そのため、予算があまりかからない当時若手のコッポラ監督を雇ったのでした。

しかし、これが大きな誤算でした。

コッポラ監督は大作を撮ったことがない駆け出しの監督でしたが、その演出スタイルは巨匠並みにこだわりがあり、妥協を許さないものだったのです。

実際撮影を始めるまで果てしなくテストを繰り返したり、決定稿になっている台本を何度も書き直したり。そのせいで、撮影監督が怒って現場を出ていくことごありました。

パラマウント映画の幹部たちは、まず、コッポラの書いた「血で血を洗い、セリフが多い脚本」を気に入っていませんでした。さらに、撮影が始まった直後から、

スケジュールは遅れ、経費は予算を超過気味だったのです。

ハリウッドの映画会社は、とにかく予算管理が厳しいことで知られています。スケジュールも、公開日を決めてから決められることが多く、撮影日を延長させることは大変難しいのです。

「ゴッドファーザー」の制作でもそれは同じことです。撮影中、予算超過の兆候に加え、コッポラ監督の仕事ぶりに不安を感じた会社側とプロデューサーは、監督の交代を検討したといいます。

しかし、マイケルがレストランで敵対するギャングと悪徳警官を銃殺するシーンを見たパラマウントの幹部は、一遍で作品を気に入り、コッポラ監督の続投を決めたそうです。

結局、映画は予定より早く完成し、予算もオーバーしませんでした。ところが幹部たちには、新しい不満が沸いたそうです。「(内容に興味があるので)もっと映画を長くしてほしかった」。■

補足情報:実はコッポラ監督は、「Part3」を再編集して公開しています。そのタイトルは、ゴッドファーザー, コーダ:マイケル・コルレオーネの死/THE GODFATHER, CODA: THE DEATH OF MICHAEL CORLEONE。オリジナルと何が違うのかは、ネタバレになるので控えますが、よりマイケル気持ちに寄り添った内容になっているようです。

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