【もののけ姫】の謎を解く!知られざる原作と本当の主人公とは?

【もののけ姫】の謎を解く!知られざる原作と本当の主人公とは?

日本アニメ界の巨匠、宮崎駿監督による劇場用長編アニメ8作目の「もののけ姫」。1997年に公開。それまでのファミリー向けアニメを逸脱した作品でしたが、予想に反して大ヒットしました。

2020年、「一生に一度は、映画館でジブリを。」と銘打ったリバイバル上映では、「風の谷のナウシカ」「千と千尋の神隠し」そして「ゲド戦記」と並んで再公開され、ジブリ映画の興行収入総合ランキングで3位から2位にアップとなりました。

タイトル公開年製作費興行収入
第1位千と千尋の神隠し2001年15億円316億円
第2位もののけ姫1997年21億円201億円
第3位ハウルの動く城2004年24億円196億円
第4位崖の上のポニョ2008年34億円155億円
第5位風立ちぬ2013年50億円120億円
スタジオジブリ作品興行収入ベスト5

テレビでも、日本テレビの「金曜ロードショー」で何度も放送され、安定した視聴率を上げています。

一般に痛快でファンタジックな作風で知られる宮崎アニメですが、この「もののけ姫」は大人をも唸らせる複雑な人間(動物)関係や自然人間の対立が描かれます。また、舞台も室町時代の日本という宮崎アニメの中では唯一の時代劇ものでもあります。

強烈なキャラクター陣と観客を心揺さぶる展開。娯楽性も十分ある作品ですが、なぜかスッキリしないことばかり。どこかモヤモヤした感じが残ってしまいます。

そこで、今回はそれらを少しでも解消できればと、次の5つの疑問について解説したいと思います。

1.「もののけ姫」の原作はどうなっている?

2.本当の主人公とは?

3.気になる「風の谷のナウシカ」との関係は?

4.エボシ御前は、なぜ死ななかった?

5.宮崎監督の目指した時代劇とは?

解説に入る前に、あらすじを簡単におさらいです。必要のない方は、読み飛ばしてください。

時は室町時代。東方の地に住むエミシ一族の若者・アシタカは、村を守るために、タタリ神と化した大猪を討ち取る。その際、憎悪の呪いをかけられ、それを解く方法を探す旅に出る。

人里離れた山奥にあるタタラ場(製鉄場)にたどり着くアシタカ。そのコミュニティを率いる女頭・エボシ御前は、山に住む神々と森をめぐって激しい戦いを続けていた。犬神・モロの君に育てられた人間の娘・サンがタタラ場を襲撃し、アシタカが仲裁に入って負傷する。

サンはアシタカを森の神・シシ神のところに連れて行き、負傷した体は元通りとなる。モロから森の危機を知らされ、思い悩むアシタカ。そんな彼に魅かれるサン。

一方、エボシは森への総攻撃とシシ神を殺す計画を実行に移す。森を守るため突撃したイノシシたちは罠にはまって全滅。エボシはシシ神の首を落とすことに成功するが、モロに片腕を噛み切られる。シシ神から液体があふれ出し、大地は枯れ、タタラ場は破壊される。アシタカとサンは力を合わせて首をシシ神に返すと、大地に再び緑が芽吹いていく。

「もののけ姫」の原作はどうなっている?

そもそも「もののけ姫」に原作はあるのか。

実は、宮崎監督が自ら描いた「もののけ姫」というタイトルの絵本があります。1993年に出版されましたが、今では絶版。古本はアマゾンで7000円近くで売られています。

1980年初頭、テレビ用に検討されていた企画の絵コンテが基になっているようです。これが映画の原作かと思いきや、それは違うようです。なぜならそのストーリーは・・・

「美女と野獣」。

あらすじを調べると、タイトルは同じでも、映画とは全く違うものであることが分かります。

絵本「もののけ姫」のあらすじ

戦に敗れた武士が洞穴で見つけた食べ物を勝手に平らげる。帰ってきたのは一匹のもののけ(大山猫)。武士は命の代わりに、自分の三女を差し出すことを約束する。

迫りくる敵兵を前に、妻と三女以外の二人の娘は武士のもとを去る。絶対絶命の武士は、悪霊の力を借りて強くなるが、完全に憑りつかれてしまう。

もののけは約束通り三女を連れ去るが、彼女は父親を悪霊の呪いから助けたいと言う。二人は力を合わせて武士から悪霊を追い払う。そして、もののけと三女の心は結ばれる。

「人間の娘を引き取ったのが動物」「悪霊が人間に憑りつく」など、部分的な共通点はありますが、映画「もののけ姫」とはまったく違うコンセプト。ですからタイトル以外、大きな影響はなかったと言えます。

タイトルでさえ、もともと「もののけ と 姫」で、それが短縮されて「もののけ姫」になったとも言われています。が、映画版の「サン」は「三女(さんじょ)」からという経緯もあります。そこで気になるのが、

「もののけ姫」の原案は別にあったのか?。

映画の宣伝文句に「構想16年」とあります。これが事実とすると、スタートは絵本の原案となったテレビ用企画が発案された時期にあたります。また、スタジオジブリの元制作デスクの方が、映画「もののけ姫」についての雑誌インタビューで次のようなことを話しています。

1985年か86年とかに、宮崎監督が言った言葉のメモがあり、いずれやりたい映画についてのコメントの中に、次のような要素があったと。

  • 生態系の破壊因子の話
  • 「精霊の箱」とか「大地の霊」という善でも悪でもない力
  • 戦国大名が出てくる
  • 山歩きの製鉄集団

これは正に映画「もののけ姫」を表す要素ばかりです。つまり、テレビ用企画「もののけ姫」と並行して、映画「もののけ姫」の構想が宮崎監督の頭の中で膨らんでいったと思われます。

「もののけ姫」の本当の主人公は?

さて、映画が見始めた最初から「あれ?」と疑問に思うことが、

主人公はアシタカではないのか?

という点です。最初の登場シーンから、典型的な主人公である英雄的な活躍ぶり。物語を通して主要キャラクターを結ぶ中心的なポジション。そして、最後は犠牲的な振る舞いで問題を解決に導きます。

アシタカ (出典:スタジオジブリ)

一方、「もののけ姫」とタイトルになっているサンは、自然を破壊する人間を憎む娘です。アシタカによって人間を許しそうになりますが、結局、最後はそのまま森に帰っていきます。主人公の要素になる「大きな変化」は見られません。またさらに重要なのが、

主人公として感情移入できるかという点です。

この部分でも、物語全体がアシタカの目線で展開されることもあり、おのずと彼に感情移入する人が多いと思います。

このことは、宮崎監督ももちろん承知のしていました。製作も終わるころ、そのタイトルを「アシタカ聶記(せっき)」(アシタカについて言い伝えられた物語)にしたらどうか、と言い出しています。しかし、すでに宣伝活動が「もののけ姫」で走っていたため、そのままになってしまったようです。

(結果的に「もののけ姫」の方が吸引力があり、正解でしたが)

再びこの作品を見るときに、「アシタカが主人公」という意識を持っていただければ、また違った味が出てくると思います。

「風の谷とナウシカ」との関係とは?

「もののけ姫」を見ていて、突然こんな思いに駆られることはないでしょうか。それは・・・

「他の宮崎アニメと似ている!」

宮崎アニメのファンならば、それが「風の谷のナウシカ」であることは、条件反射的に分かるかもしれません。

主要なキャラクターを検証していみると、この2つのアニメの間にあるただならぬ関係を感じずにいられません。

「もののけ姫」「風の谷のナウシカ」
サンナウシカ
アシタカアスベル
エボシ御前クシャナ
シシ神巨神兵
モロの君大ババ?
猪たちオーム
ジコ坊ユパ

時代や舞台こそ違っていますが、物語におけるキャラクターのポジションが大変似通っていますね。その理由は、「もののけ姫」が「風の谷のナウシカ」のリメイク版、または続編として作られたと思われるからです。(結果的に、そうなってしまったというのが事実かもしれませんが)

その理由は、どこにあるのか

一つは、宮崎監督の尊敬する先輩でありライバルだった今は亡き高畑勲監督の存在です。二人はスタジオジブリ設立時の主要メンバーということだけでなく、宮崎監督が業界に入った時から、アニメーターと演出家として、お互いに刺激し合って研鑽を積んできました。

ジブリの創設者【高畑勲監督】~作品から垣間見る実像とは

宮崎監督が初めて自分の世界を描いた劇場アニメ「風の谷のナウシカ」。当然、同作品でプロデュースも務めた高畑監督の感想が重要だったわけですが、それがなんと、次のようなものでした。

プロデューサーとしては万々歳なんです。ただ、宮さんの友人としての僕自身の評価は、30点なんです。宮さんの実力からいえば30点。

『風の谷のナウシカ』ロマンアルバムより

「風の谷のナウシカ」に何が足りなかったのか。高畑監督は、別の機会にこう書いています。

「現代を照らし返していない」

周囲の誰の感想よりも、これが宮崎監督の胸に突き刺さったことでしょう。「いつか、高畑さんの見返す作品をつくる」。宮崎監督は、そのチャンスをひそかに待っていたはずです。

そして、自身の集大成「もののけ姫」です。

「風の谷のナウシカ」の時のリベンジの気持ちが、「もののけ姫」に乗り移るのも無理はありません。

改めて二つの作品を比べてみると、確かに「もののけ姫」の方が、それぞれの人物描写がより深められています。もちろん今と昔という境遇は違いますが、自分の立ち位置で悩み、自分の中での善悪での間で葛藤している現代人の姿を映し出していいるようです。

宮崎監督は、これまで何度も「風の谷のナウシカ」の続編の可能性を聞かれています。なぜなら、漫画版「風の谷のナウシカ」には、映画で描き切れなかった部分が膨大にあるのです。しかし、まったく興味を示さないのは、「もののけ姫」でもう作ってしまったからではないでしょうか。

エボシは死ぬはずだった

それまでの作品の登場人物に比べ複雑さを増したキャラクター。それが「もののけ姫」を見るものを惑わせてしまいます。

善人と悪人がはっきりしない。

まったくの善人として描かれるアシタカが唯一の拠り所ですが、その他の主要な登場人物は、善悪がはっきりしていません。

もののけ姫モロの君猪たちは、森を必死に守ろうとしますが、同時に一所懸命生きるタタラ場の人間たち皆殺しにしようとします。

エボシ御前は、犬神たちや猪たち、そして森の神・シシ神を撃ち殺そうとしますが、虐げられた人々に生きる場を提供しています。

そしてシシ神は、森を生かすとともに殺すこともできます。

その中で生きる善悪が混在するキャラクターたちを、予定調和ではない周りの出来事に置くことによって、さらに現実味が増しています。それが象徴的になっているのが、

生き延びたエボシ御前です。

エボシ御前(出典:スタジオジブリ)

制作サイドからも「エボシ御前は最後に死ぬべきだ」と意見があったようです。それまでの宮崎アニメのルールに従えば、彼女のようなキャラクターは、最後は死ぬ運命なのかもしれません。「天空の城ラピュタ」のムスカしかり、「ルパン三世 カリオストロの城」のカリオストロ伯爵しかり。

しかし、宮崎監督はそうしなかった。「生き恥をさらしながら生きる」。生き死には別にして、こういう成り行きは現実に多々あることを私たちは知っています。これがまさに、宮崎監督がこの作品で大切にしたかったことです。

宮崎監督が目指した時代劇とは

宮崎監督が日本の代表的な映画監督・黒澤明を敬愛していたことは有名です。1993年(ちょうど絵本「もののけ姫」を出版したころ)、テレビ番組で対談しました。本当に嬉しそうに黒澤監督の話を聞いている宮崎監督の姿が印象的です。

ほぼ一方的に黒澤監督の話を聞いていた宮崎監督。突然、息せき切ったように自分の思いを黒澤監督に打ち明けます。

【宮崎監督】「時代劇を一回やってみたいですね。難しいですねこれは。どうしていいのか分らない」

【黒澤監督】「僕は面白いと思うんだ。(中略)戦国時代はとっても自由だった。(中略)それを書いたら面白いと思う」

【宮崎監督】「室町はどうですかね?」

思わず具体的な時代設定まで暴露してやる気を見せた通り、宮崎監督は時代劇「もののけ姫」を見事に作り上げました。それは、黒澤監督がよく用いた「殿様と家来たち」とか「侍と農民」とかいう典型的枠にとらわれない、

それまでになかった時代劇。

日本のあちこちで混乱が残っている時代。昔、大和朝廷に東に追われた民の若者が、幕府や豪族の手が届かない山奥で独立国をつくろうと企む元倭寇の妻と出会う。

それだけも奇想天外な時代劇ですが、そこに森の神々が動物の姿で現れて、人間の言葉を話す。

ディダラボッチと化したシシ神(出典:スタジオジブリ)

最後には、得体のしれない山の神のパワーがはじけて、何もかも飲み込んでしまう。そういう神話のような展開で人間と自然の危うさに警鐘をならす。

まさに宮崎監督ならではのアニメ。

「多様性」が叫ばれる昨今だらこそ、この作品のメッセージ性がより強く人々の心に響くのではないでしょうか。■