考察:なぜ【スターウォーズ】の完結編に納得がいかないのか?

考察:なぜ【スターウォーズ】の完結編に納得がいかないのか?

昨年12月に公開されたエピソード9『スターウォーズ / スカイウォーカーの夜明け』「レイはパルパティーンの孫だった!」というファンにとって衝撃的な秘密を暴露して壮大なる物語を終えたました。それは、8作までの衝撃の事実、「ダースベイダーはルークの父だった!」を上回るどんでん返しでした。

数多くあった戦闘シーンもパワーアップし、数えきれないほどのスターデストロイヤーは笑えるほど圧巻でした。映画関連サイトのレビュー欄を見ると、観客の多くは及第点を与えているようです。しかし・・・

「何となく納得できない!」

「これは本来のスターウォーズではない」

という感想を持たれている人もいたようです。特に1977年公開の記念すべき第一作からリアルタイムでこのシリーズを見てきたファンにとっては、ジョージ・ルーカス監督が離脱した7作目から違和感を持ち、それは解消されることなく全シリーズが終わった感があったのではないでしょうか。

そこで今回は、「どうしてスターウォーズは、間違った方向へいってしまったのか?」について、原点に立ち戻って考えてみたいと思います。

読み終わったあとで、少しでもモヤモヤした気持ちが晴れて、「最後のエピソード3作は、こうなれば良かったのか」と思ってもらえれば幸いです。

そもそも「スターウォーズ」は「神話」

毎回、「遥か昔、銀河の彼方で・・・」のキャッチフレーズで始まるこの映画。実はこの出だしに、この物語の本質が込められています。「この物語で語られる出来事は、随分昔に起こったことである」。それはあまりにも古すぎて、「神話」の領域のものであると宣言しているのです。ギリシャ神話とか、日本でいえば古事記のような神々の物語ですね。

世界の東西を問わず、「神話」に共通するのは、登場するのが超人的な神々なのに、話自体は非常に人間臭い家族話、親戚縁者の話が多いということです。親子の争いとか、兄弟げんかとかいったドメスティックな出来事が長々とつづられています。

「神話」はそういった内輪話を、壮大なスケールで、時には滑稽なまでに大げさに描く。国をまるごと作るとか壊すとか、そういう大規模な行いを、神々が無邪気な感情で起こしたり起こされたりするわけです。そして多くの民は、その煽りをまともに受けて、無残な死に方をするのです。

未来永劫、映画の歴史に残り続ける「スターウォーズ」も、その神話的特徴を見事なまでになぞった作品と言えます。神の力とも言える「フォース」を操る一族 「ジェダイ」。その伝統継承をめぐって一族の者たちが権力を奪ったり奪い返したりする。

その神話の中心が、本家・スカイウォーカー家というわけです。

その一族、そして反抗する異端の一族(ダークサイド)が、罪のない民衆を巻き込み、大戦争にまで発展しているのが「スターウォーズ」です。

ルーカスが手本にした「虎の巻」

「スターウォーズは神話の一種である」。実はこれ、単なる憶測ではなく、原作者のジョージ・ルーカス自身も認めていることです。ルーカスが「スターウォーズ」の構想を練った時に参考にした本があります。それは、

『千の顔をもつ英雄』

著者は、アメリカ・ニューヨーク州出身のジョセフ・キャンベル(1904~1984)。この本には、「世界の神話や民話を研究すると、そこには同じような基本構造がある」と書かれています。

この本に出合ってから30年というもの、この本は私を魅了し、インスピレーションを与え続けてくれる。

——- ジョージ・ルーカス

キャンベルの研究は、「神話の法則」(クリストファー・ボグラー著)などに集約され、いまでは知る人ぞ知るアメリカのフィルムメーカーたちのバイブル的な存在になっています。細かい解説は別の機会に譲りますが、簡単に説明しますと、

神話といいうのは、主人公である「普通の人(神)」が、あることをキッカケに「異質な世界に移動」して、「奮闘」の末に、「報酬」を得るという流れで語られる。

「スターウォーズ」第一作のエピソード4「新たなる希望」は、忠実なまでにこのルールを踏襲しています。

日常に不満を持つ青年(ルーク) ⇒ 反乱軍に参加する ⇒ フォースを修練し、帝国軍(ダースベイダー)と戦う ⇒ 勝利し、反乱軍の英雄として勲章を受ける

この「スターウォーズ」の大成功によって、多くのハリウッド映画がキャンベルの理論を基に作るようになったといいます。

それでは、ルーカスはこの「器」に何を載せたのでしょうか。それは彼自身のなのです。

主人公のルークはルーカス

つまり、ルーカスは自分の家族を神話という形を借りて描いているわけです。「スターウォーズ」は、最終話のサブタイトル「スカイウォーカーの夜明け」が示す通り、一貫してスカイウォーカー家の物語であり、つまり・・・

ルーカス家の物語なんです。(本人は否定するでしょうけど)

主人公のルークは、ルーカス自身です。そして、宿敵であり父であるダースベイダーは、父のジョージ・ルーカス・シニアということになります。

若きルーカスにとつて父親は大きな存在でした。彼はカリフォルニア州モデストにある事務用品店を売却したのち、小さなクルミ農場を経営し、とのかく厳格な性格で

ジョージ少年にとってキツイ父親であったようです。

高校時代、ルーカスが熱中したのが車でした。ルークが劇中で乗っていたランドスピーダーのような改造したフィアットでぶっ飛ばしていました。しかし、事故を起こして、レーサーになる夢が壊れてしまう。そこで、次に興味があった美術の学校に進もうとしますが、これも親の反対で閉ざされてしまいます。

しかし、大学で社会科学を専攻すると映画作りに夢中になり、映画学科で有名な南カリフォルニア大学に転入します。

ところが、大学を卒業すると、なんと軍に入隊しようとします。つまり、国を守るために尽くしたいという気持ちがあったわけです。

これが戦記物への思いにつながったと推測されます。

まずは空軍に申し込みますが、過去に犯した幾多のスピード違反を理由に入隊は却下されます。(劇中でルークは優れた戦闘機乗りになります)続いて、ベトナム戦争の際に徴兵されかかりますが、健康を理由に入隊は叶いませんでした。

もう一つ、ルーカスの趣向がスターウォーズにつながったものがあります。それは、

「フラッシュゴードン」というSFコミック漫画。

ルーカスは子供の頃から親しんでいたこの作品の映画化を熱望していましたが、その権利は既に他人に抑えられていました。その結果、代わりに「スターウォーズ」というオリジナルを作らざるを得なかったのです。

この三つの話を総合すると、「父親と対立していた息子(ルーカス)が、志願した軍隊の戦場は、SFでよくある宇宙だった」というわけです。

物語はシリーズ6で終わっていた?

ルーカスは「スターウォーズ」の第一作を、娯楽性が高いエピソード4「新たなる希望」から始めます。その思惑は的中し、「スターウォーズ」はSF映画の金字塔にもなる大ヒットとなりました。

その後、エピソード5と6を公開した後、約15年が経ってからエピソード1「ファントム・メナス」の製作を開始し、2005年にエピソード3「シスの復讐」を公開。実はこれでルーカスの本意は一応遂げたのではないかと思われます。実際、エピソード3を作り終わってから、ルーカスは引退を宣言をしました。(その理由は、エピソード1~3が一部のファンに不評であったこともありますが)

実際、自分の分身であるルークは、エピソード6で目的を遂げたようにも見えます。

自分と対立してた父親が、どうして厳しい父親になったかを、ルークの父・アナキンがダースベイダーになることで描き(エピソード1~3)、ルーカスがどうやって父との関係を修復したのか(したいと思ったのか)を、ルークが一人前のジェダイになりダースベーダーを暗黒面から連れ戻したという話(エピソード4~6)で見せたわけです。

それでは、この6作で物語を描き切ったルーカスにとって、残りのエピソード7~9はどうなるはずだったのでしょうか。

友人のジェームス・キャメロン監督に語ったところによると、最後の三部作のテーマは、フォースの起源であるミクロの世界に存在する生物「ウイルズ」だったようです。それは、実は銀河を支配し、コントロールしていると。つまり、

それまでの6作とは、全く違う宗教的な色彩を持つ物語になるはずだったのです。

ルーカス本人も、「 わたしは実験的な映画でキャリアをスタートさせた。だからそうした映画に戻りたい」と話していました。つまり、それまでの家族話からの完全なる脱却を企てていたのではないでしょうか。ですから、ファンに受け入れられる「分かり易いスターウォーズ」は、エピソード6「ジェダイの帰還」で終わっていたのです。

ファンの代表が作った最後の3エピソード

ルーカスから「スターウォーズ」の映画化権を買ったディズニーは、ルーカスが考えていた「異質なスターウォーズ」を認めるわけにはいきませんでした。そこで、従来のツボを心得ている「スターウォーズ」の大ファンであるJ・J・エイブラムス監督に抜擢することにしました。(エピソード8で、演出を一旦ライアン・ジョンソン監督に委譲)

しかし、エイブラムス監督に「正統な続編」を作ることは基本的に不可能です。なぜなら、「スターウォーズ」の源泉はルーカスの人生の中にこそあるからです。 そこでエイブラムス監督が何をしたかというと・・・

エピソード4~6を巧みにリピートしたのです。

エイブラムス監督がそれをどうやったのかを、分かり易く表にすると次の通りです。

ルーカス版スターウォーズエイブラムス版スターウォーズ
ルーク・スカイウォーカーレイ・パルパティーン
ダース・ベイダー(アナキン)カイロ・レン(ベン)
ルークはヨーダに訓練を受けるレイはルークに訓練を受ける
アナキンは暗黒面に入るベンは暗黒面に入る
ルークがアナキンを暗黒面から救うレイがベンを暗黒面から救う

ファンにとっては、1~6の再放送を役柄を変えて見せられているので、なんとなく楽しめているのですが、新しいことがないのでワクワクはしないわけです。さらにルーカスの血が通っていないわけですから、尚更です。

最後の3作は、こうあって欲しかった!

ルーカスが最後の三作を作っていたら、既に紹介した通り全く違った「スターウォーズ」になったに違いありません。その場合は、実際の三作よりファンの不評をかったでしょう。

しかし、ファンにしたら、 最低でも 「スカイウォーカーの夜明け」は「スターウォーズ」の基本は守って欲しかったのではないでしょうか。そこで、「こうすれば、もう少しましだったのに」というポイントを最後に考えてみたいと思います。

外せないのは、血のつながりです。

まず、レイにはスカイウォーカー家の血は流れていません。主人公はルークかレイアの子供か甥、もしくは姪でなければなりません。普通で言えば、

カイロ・レンがパルパティーンを倒す主人公であるべきです。

または、レイが主人公ならば、やはりルークもしくはレイアの娘。または、二人の姪であってもいいかも知れません。アナキンに弟がいたということで。とにかく、血のつながりが必要です。

どうしてもパルパティーンとの因縁がお好みならば・・・

レイはパルパティーンの息子とアナキンの妹の間に生まれた「娘」ということで。

こうすれば「スカイウォーカーの夜明け」というタイトルがシックリきます。スカイウォーカー家と血のつながりがないレンが、最後に「(私は)レイ・スカイウォーカー」と言っても納得できません。もし、レイがベンの子供を身ごもったなら分かりますが・・・。■