【実話】朝ドラ「ばけばけ」~小泉八雲・セツ夫婦の真実の歩みとは?

【実話】朝ドラ「ばけばけ」~小泉八雲・セツ夫婦の真実の歩みとは?

NHKの2025年後期、連続テレビ小説「ばけばけ」は、明治という大きなうねりの中で出会い、支え合いながら言葉を紡いだ一組の夫婦を、やさしい光で照らす物語です。ヒロインの松野トキ(モデルは小泉セツ)と、夫のヘブン(モデルはラフカディオ・ハーン)は、どちらも時代の変わり目に立たされながら、自分たちの暮らしの中から“名もなき人々の心”をすくい上げました。ここでは、実話に基づく二人の人生に沿って、当時の空気や町の景色を少しずつまぜながら、ドラマの見どころをご案内します。

連続テレビ小説 ばけばけ Part1 (1) (NHKドラマ・ガイド) 

① ラフカディオ・ハーン~日本に魅せられた西洋人

ハーンは1850年、エーゲ海の島に生まれました。父はイギリス軍医、母はギリシャ人。三人兄弟の兄は幼くして世を去り、弟はのちにアメリカ合衆国で暮らしました。別に異母妹もいたようです。

幼少期に両親は別れ、彼は大叔母に育てられ、片目の失明という不運も抱えましたが、19歳で海を渡り、アメリカで新聞記者として生きる道を選びます。やがて「古事記」や万国博覧会で触れた日本への興味がふくらみ、明治23年(1890年)に来日しました。肩書は米国出版社の通信員でしたが、ほどなく契約を打ち切って、松江の島根県尋常中学校・師範学校で英語を教えることになります。

松江での毎日は、派手な出来事よりも、耳と肌で感じる“生活の音色”に満ちていました。朝の米つきのリズム、寺の鐘、山並みと宍道湖の朝もや、橋を渡る下駄の音。のちの著書『知られぬ日本の面影』に描かれる一日は、遠くから来た人の素直なまなざしで、あたたかく綴られていきます。

「見知らぬ日本の面影」ハーン著

暮らしぶりも、次第に土地へ溶けこんでいきます。学校から戻ると和服に着替え、座布団に腰を下ろし、キセルを手に、箸で食事をする。庭下駄で歩き、和菓子にビールという小さな楽しみも日課になりました。池の生き物に気を配るようなやさしさも、セツの語りにたびたび登場します。こうした所作は、単なる“異国趣味”ではなく、地域の人々への敬意の表れでした。

赴任の1年余りで彼は「ヘルン先生」と親しまれ、別れ際には「不快な言葉を口にする人は一人としていなかった」と感謝を記しています。松江で受け取った温かさは、のちの作品世界の“やわらかな基調”になっていきました。

② 小泉セツ~没落と困窮のあとで

1868年、松江の士族の家に生まれたセツは、ほどなく親戚の稲垣家に養女として迎えられました。明治維新のあと、士族の暮らしは一気に厳しくなり、勉強が好きでも進学をあきらめて機織りで家計をささえる日々が続きます。一度は結婚しますがうまくいかず、家族の不幸も重なり、ため息の多い季節が長く続きました。それでも、囲炉裏端で聞いた昔話や、出雲にまつわる不思議話を手放さず、語ることへの想いだけは静かに燃やし続けます。やがてこの“語りの種”が、夫婦の共同作業を支える根っこになっていきます。

実父・湊は周囲から尊敬を集め、実母・チエは家事には不向きでも、三味線がうまく、曲亭馬琴の作品を暗唱するほど物語に通じていました。そんな血の流れも、セツの語りにそっと混ざっています。祖父母からは“雪女”の話など土地の不思議話を聞いていたかもしれず、その記憶がのちの『雪女』へとつながる“素材”になった、とも語られています。

家の事情はさらに厳しく、兄弟の死や失踪が重なり、セツ自身も離別を経て籍を戻すことになります。そんな暗がりの底で、彼女は一人の外国人と出会う運命へ向かっていました。

③ 出会いと結婚~惹かれあう二人

1891年初め、松江に本格的な冬が訪れます。初めての豪雪で体調を崩したハーンの看病のため、知人の紹介でセツが住み込みにやって来た――それが出会いの始まりでした。最初は身分や出自の違いから小さな行き違いもありましたが、台所で交わす短い言葉や、灯りの下で語られる土地の昔話が、少しずつ互いの心に火を灯していきます。

出典:Wikipedia

やがてふたりは堀端の武家屋敷へ移り、夫婦としての暮らしを始めます。セツが子どもの頃から聞いてきた民話や怪談を語り、彼はその語りを愛おしむように受けとめ、机の上で文の姿へ整えていく。「あなたは私の手伝いができる人」。最初に語った「鳥取の布団」を聞いた彼の言葉は、語り部セツの誕生をやさしく告げる合図でした。

松江での暮らしは、のびのびとした季節感に満ちています。庭のある屋敷をこよなく愛し、学校から戻ると和服に着替えて座布団に座り、キセルを燻らせ、箸で食事をする。ときに和菓子をつまみ、ビールで一息。池に現れた蛇には、カエルを食べないよう自分の食事を分けてやる。そんな小さな優しさも、セツの証言として残っています。

④ 二人の生活~”再話”、そして東京へ

ふたりの共同作業は、採話と執筆という単純な分業ではありませんでした。セツが“生活の言葉”で語る物語に、彼は耳を澄まし、余計な飾りを付けずに物語の息づかいをそのまま紙へと移す。だからこそ、ページの向こうには米つきや鐘の音、宍道湖のもやや柏手の響きがそのまま残り、読者の心にするりと入ってきます。彼自身がのちに語る「日本にはこんなに美しい心があります」という言葉にも、こうした時間の積み重ねがにじんでいます。

ハーン、セツ、そして一雄 (出典:Wikipedia)

家族の季節も動き始めます。1893年に長男・一雄が誕生。幼い命の重みは父の心を揺らし、日本人として生きる覚悟を固めさせます。翌1896年、彼は東京帝国大学(現・東京大学)の英文学講師となり、同年に日本へ帰化して「小泉八雲」を名乗りました。翌1897年に次男・巌、1899年に三男・清、そして1903年には一人娘の寿々子が誕生します。上京後も、松江で育てた“耳を澄ます姿勢”は変わりませんでした。

東京では、教え子が頻繁に家を訪ね、セツが若者たちと言葉を交わすと、八雲が少し嫉妬の表情を見せた。そんな微笑ましい一幕も語り継がれています。家の真ん中に立ち、子の成長を見守りながら、ときおり語りを続けるセツ。二人が大切にしたのは、急いで結論に向かわない“暮らしの速度”でした。

⑤ 突然の別れ~“思い出の記”が残したもの

1904年、八雲は心臓発作で急逝します。54年の生涯でした。そのとき、セツは36歳。幼い子どもたちの手を取りながら、彼女は静かに日々をつないでいきます。のちに彼女は、夫との時間をまとめた「思い出の記」を綴り、1914年(大正3年)、田辺隆次が著した『小泉八雲』に収められて世に出ました。ページを繰ると、松江の風や東京の街のざわめき、庭の影や子どもの息づかいが静かに立ちのぼり、読む人の胸にあたたかな灯をともします。セツ自身は1932年(昭和7年)2月18日に64歳で逝きました。

「小泉八雲」田部隆次著

夫が遺したものは、名のある文学作品という“結果”だけではありません。誰かの言葉を、その人の言葉のまま尊重して受け止める態度。セツが「あなたの言葉で語るのが大事」と諭されたと記す一節は、いま読んでも胸に残ります。

⑥ “ばけばけ”の時代~変化をこわがらない

明治は、和と洋が行き交い、制度も暮らしも組み替わった時代でした。鉄道や電信が伸び、洋装や新しい学問が町に入り、人々の心は期待と不安でふわりと揺れていました。そんなとき、八雲は「日本にはこんなに美しい心がある。なぜ西洋のまねをしますか」と語ります。これは“変わるな”という合図ではなく、変わろうと急ぐほど、自分たちの足もとにあるやわらかな感受性を忘れずにいよう、という静かな呼びかけのように感じられます。

セツの語りは、学問の専門用語でも、新聞の見出しでもありません。近所の誰かの体験、祖父母が囲炉裏端で話した出来事、祭りの夜に交わされたうわさ。そんな小さな声が、八雲の文章を通してそっと形を変え、遠い国へ渡っていきました。二人がしたことは“代弁”というより“橋渡し”。外から来た目と、内から語る声が出会い、互いを尊重し合う。そのバランスが、読む人の心をほどき、遠い時代の空気まで連れてきてくれるのだと思います。

「思い出の記」小泉節子著

松江の場面が厚く描かれることにも、いまの私たちへのヒントが隠れている気がします。名所の紹介に終わらせず、風土・信仰・人情、“地場の知”がどう物語に育っていったのかを辿らせてくれるからです。生成AIをはじめとするグローバルな仕組みがあふれる時代だからこそ、土地の記憶を大事にしながら、外からの風も受け入れる“開かれた心”が、前へ進む力になるのだと思います。

まとめ~今でも生きる「ばけばけ」の心

人生は“ばけて”いきます。松江の朝の米つきの音、橋の下駄の響き、夕暮れの鐘、そんな音の束は、今も小泉八雲の文章の向こうから聞こえてきます。私たちの毎日もまた、だれかの語りで形を変え、次の世代へ手渡されていくのでしょう。

「小泉八雲集」

技術も価値観もめまぐるしく変わるいまこそ、急がず、耳を澄まし、暮らしの中の小さな声を大切にしてみたい。外からの新しい風も受けとめながら、足もとにある物語を忘れないでいたい。「ばけばけ」は、そんなやわらかな勇気をそっと思い出させてくれる作品です。松江の朝もやや庭下駄のぬくもりを思い浮かべながら、トキとヘブンの時間を、肩の力を抜いて味わってみてください。きっと、ドラマの一場面が、自分の暮らしのどこかに重なって見えてくるはずです。■

参考:THE 偉人 HISTORY 「小泉家の足跡」(山陰ケーブルテレビジョン)、小泉八雲記念館公式サイト

実話【あんぱん】やなせさん、本当の生涯とは~七転び八起き人生