朝ドラ【らんまん】は実話か?~モデル・牧野富太郎の真実
『らんまん』は、2023年4月からNHK連続テレビ小説(朝ドラ)で放送されている作品です。その朝ドラ第108作目の主人公は槙野万太郎。それを神木隆之介さんが演じる、妻・寿恵子との波乱の生涯を描くフィクション物語です。そして槙野万太郎には、案の定、モデルが存在します。それが、
牧野富太郎です。
牧野富太郎は、1862年(文久2年)の高知県生まれ。小さい頃から植物に興味を持ち、東京帝国大学で植物学を研究した秀才です。彼が収集した植物標本は、なんと500種類以上に及び、植物を新種や新品種を命名するなど、
日本の植物分類学の基礎を築きました。
1951年(昭和26年)には文化功労者に選出。また、1953年(昭和28年)には東京都名誉都民第1号にも選ばれ、1957年(昭和32年)に94歳で亡くなるまで、日本全国をまわって膨大な数の植物標本を作製し、熱心に日本に存在する植物の研究を続けました。そして没後、
文化勲章を授与されました。
それでは「日本の植物学の父」と称される牧野富太郎の生涯を、わずか5分で探訪してみましょう。
牧野富太郎の生い立ち
まず富太郎が少年時代をどう駆け抜けたを見ていきます。
生年月日は1862年4月24日です。
この頃、日本は江戸時代末期。同じ年、幕府は欧州に使節団を送り、次の年には長州藩が孝明天皇が御座す朝廷から追放され、翌年、その長州藩が企てたクーデター事件が、
「禁門の変」です。
富太郎の出身地は、当時の土佐国佐川村、現在の高知県高岡郡佐川町です。高知市から西へ車で30~40分ぐらいのところにある地域。日本の中央で起きていた政変など遠い遠い出来事だったでしょう。
子どもの頃から植物に夢中だった牧野少年。10歳で寺子屋で習字などを通い、11歳には塾や郷校・名教館で西洋の諸学科、英語学校にも通ったといいます。というのも、実家が雑貨業や酒造業を営む裕福な家で、彼は
“お坊ちゃん”だったのです。
富太郎が10代の頃、日本はすでに明治になっていて、岩倉使節団が欧米に外遊に出掛けている頃です。ですので、大政奉還や鳥羽伏見の戦いなど日本の大きな変化は終わっていました。
富太郎は12歳で佐川小学校に入学。しかし、2年生になった時には早々と中退してしまいます。その理由はというと、
学校の勉強が退屈だったから。
彼は大きな造り酒屋の跡取りであり、将来に何の心配もなかったことも大きかったようです。
植物学の世界へまっしぐら
小学校へも通わず、好きなことに邁進していた富太郎でしたが、その才能を周りは放ってはおきませんでした。15歳からは退学した小学校で教えることになり、2年間、教鞭をとったようです。そして17歳に時、転機が訪れます。
恩師・永沼小一郎との出会いです。
富太郎は、高知師範学校の永沼先生を通して欧米の植物学について知ることになります。その後、植物の書物や顕微鏡を買うために19歳のときには上京。東京上野で開かれた、第2回内国勧業博覧会(1881年(明治14年)3月~6月)も見学し、知見を広めました。
実は、この博覧会で後に妻となる小澤壽衛に出会っています。一説に彼女とは再婚で、初婚の相手は従妹の牧野猶だったとも言われています。
その後も独学で植物の知識を身に付けた富太郎は、内務省の所管だった博物局の田中芳男と小野職愨と知り合うなど人脈を広げます。そして1884年(明治17年)には、
東京大学理学部の植物学教室へ出入りすることに。
この東京大学理学部とは縁が深く。1893年(明治26年)には助手を務め、1912年(明治45年)には同大学の講師に任じられました。しかし、理学博士となったのは、昭和2年(1927年)になってからでした。
65歳という博士号取得にしばらくかかってしまった富太郎ですが、残した業績は多岐に及びました。
富太郎の業績とは
富太郎の業績を振り返ると、「日本の植物学の父」と呼ぶにふさわしい充実ぶりです。業績の主なものを、大きく5つに分けてご紹介しましょう。
植物を学術的に記録
富太郎は実に多くの植物を命名し、日本植物分類学の基礎を築きました。その数は、
新種1000種類、新変種1500種類以上に及びます。
彼自身が発見した新種は600種類以上とされています。例えば、ムジナモ、センダイヤザクラ、トサトラフタケ、ヨコグラツクバネ、アオテンナンショウ、コオロギラン、スエコザサなどがあります。和名については、ワルナスビやノボロギクのように、その特徴を端的に日本風に示しました。
「牧野式」という植物図を作成
富太郎は、植物の全体像を精密に描いた植物図を作りました。代表的なものに「牧野日本植物図」や「図説普通植物検索表」などがあります。これらは、
植物の辞典とも言えるもの。
単に植物の全体像だけでなく、栄養器官などの部分図も盛り込んだ、まさに科学図とも言えるものです。そこには富太郎の絶え間ない観察心を垣間見ることができます。
富太郎自身も精密な植物画を描きましたが、画家たちの協力も得ました。その中には、水島南平、山田壽雄、本木幸之助などがいます。このうち山田は、富太郎に描画指導を受けたとされています。
膨大な標本収集
富太郎が94歳で亡くなるまでに収集した標本は、実に約40万枚にものぼります。それらの収集地は、ほぼ日本全域に及んでいたといいます。その中には、
今では絶滅したものまであります。
彼が亡くなって東京都に寄贈された標本を保存するために、東京都は1958年、都立大学理学部に「牧野標本館」を設立しました。しかし、その標本の整理を完了するまでに、20年以上かかったといいます。
情熱かけた教育普及
富太郎は植物を研究するだけでなく、それを「多くの人々に知ってもらおう」と、様々な活動を行いました。日本各地にを巡って植物の収集会を開いたり、講演会に出向いたりしました。
さらに東京都、神奈川、兵庫県などでは同好会を立ち上げ、人々と共に野山に入り、植物の魅力を伝え続けました。また、全国の人々から植物に関する問い合わせが届くと、ひとつひとつに丁寧な返事を書いたといいます。そこには常に彼のモットーがありました。それは、
「学問に立場の上下はなく、共に学んでいくもの」
江戸時代、商人の息子として生まれた、彼ならではものだったとも言えるでしょう。
現代の図鑑の先がけ
富太郎は、その調査・研究の集大成ともいえる『牧野日本植物図鑑』を出版しました。それは誰もが子供の頃に虜になる
“図鑑”の先駆けでした。
この図鑑は、戦時中の1940年に初版が刊行されました。中には先に述べた「植物図」をふんだんに盛り込み、まさに紙上の植物園そのものでした。その後も改訂が重ねられて、研究者やマニア必須の書籍となっています。
また、現在、インターネット版も公開され、さらに多くの人を魅了し続けています。
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富太郎は、1951年(昭和26年)には文化功労者、そして翌々年には東京都名誉都民第1号に選ばれます。そして、1957年(昭和32年)に94歳で亡くなるまで、日本全国をまわって膨大な数の植物標本を作製し、熱心に日本産の植物の研究を続けました。
没後には、文化勲章を授与されました。
4.「らんまん」に原作はあるのか。
朝ドラ「らんまん」の原作はありません。脚本家の長田育恵さんによるフィクション物語として描かれます。それでも、富太郎の実話を記した、
元ネタとも言える本がいつかあります。
例えば、富太郎自身による「牧野富太郎自叙伝」という自伝。さらに、清水洋美さん著、里見和彦さんイラストの「牧野富太郎【日本植物学の父】」という本も出版されています。
「らんまん」では、ドラマとしての面白さを出すために、ところどころ脚色を加えたり、実話ではない人間関係や出来事を盛り込んでいます。そのために、登場人物は創作された名前が付けられている。主な登場人物と、モデルとなったであろう実在の人物は…
- 槙野万太郎(演 – 神木隆之介) ← 牧野富太郎
- 西村寿恵子(演 – 浜辺美波) ← 牧野壽衛(富太郎の妻)
- 槙野綾(演 – 佐久間由衣) ← 猶(富太郎のいとこ)
- 槙野ヒサ(演 – 広末涼子) ← 牧野久壽(富太郎の母)
- 槙野タキ(演 – 松坂慶子) ← 牧野浪子(富太郎の祖母)
- 竹雄(演 – 志尊淳) ← 佐枝熊吉(番頭の息子)
- 楠野喜江(演 – 島崎和歌子)← 楠瀬喜多(高知の婦人運動家)
- 池田蘭光(演 – 寺脇康文) ← 伊藤蘭林(名教館の儒学者)
- 広瀬佑一郎(演・中村蒼)← 廣井勇(名教館の学友)
- 田邊彰久(演・要潤)← 矢田部良吉(東京大学教授)
また幕末に活躍した地元の英雄、坂本龍馬も登場します。富太郎と実際接触したかは定かではありませんが、時期的にはあり得る設定になっています。主人公・万太郎が「前向きに生きる」きっかけを与える人生のメンターとして登場しています。
5.まとめ
近代社会の社会に踏み出した日本にとって、たとえ植物学という世界に限ったとしても、牧野富太郎の果たした役割は非常に大きいといえるでしょう。しかし、忘れてはいけないことは、彼の偉業の裏に
家族や親戚の苦労があったことです。
ひとりの人生の時間は非常に限られています。97歳まで生きた富太郎さえも、植物という広い世界が相手では十分な時間とは言えなかったでしょう。彼は実際、上京したからというもの、多くの時間を植物の収集や研究に費やしました。その結果、家族たちは大きな負担を強いられたのです。
結婚後も、それは変わらなかったと言います。
研究者は費用がかかる割には、実入りは決して良くはありません。実際、富太郎は、頼りにしていた妻の収入だけでは足らず、実家から幾多の仕送りを受けていたといいます。また、子供は13人も生まれていました。
実家は地元では名の知れた由緒ある造り酒屋でした。跡取り息子が、いつかは家業を継いでくれると期待していたでしょう。しかし、それどころか、若い当主の実家を顧みない行いもあり、
売却することになりました。
偉業には家族の犠牲がある。偉人の生涯を鑑みるとき、その家族や周りの人達の姿に思いを寄せることができれば、すこし違った視点が見い出せるかもしれません。フィクションといえども「らんまん」がそれをどう扱うかも注目されます。■
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