朝ドラ「おちょやん」主人公のモデル:浪花千栄子の放送できない実話
2020年後期の朝のテレビ小説「おちょやん」。主人公の竹井千代のモデルとされているのは、大正から昭和にかけて舞台や映画で活躍した
女優の浪花千栄子さんです。
60代以上の方なら、「オロナイン軟膏の看板のおばさん」といえば「ああ、あのおばさんね」と思い出すことでしょう。しかし、ほとんどの視聴者にとってはまったく知らない人物と言ってよいでしょう。
その人生は波乱万丈。子供時代はもとより、大人になっても今では考えられない悲惨な出来事の連続でした。
かつて朝ドラ「おしん」でも、主人公のおしんの辛い子供時代が話題になりましたが、浪花さんの人生も引けを取りません。ただ、現代の朝ドラでは彼女の実話をそのまま放送するのは不可能だと思われます。
そこで今回は浪花千栄子さんの実際の人生を要所を抑えながら、わずか3分程度に凝縮してご紹介します。
まず「おちょやん」の意味は?
「おちょやん」は、大阪弁の「おちょぼはん」が変わったもの。「ちょぼ」は「小さい」という意味。揚屋や茶屋などへの使い走りや、娼妓の手伝いをする子供以上大人未満の少女のこと。<参照:Weblio辞書>
(以下敬称略)
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貧しい少女時代~母は亡くなり、父は育児放棄
浪花千栄子は芸名で、本名は南口キクノ。明治40年(1907年)11月19日、大阪府堺市の南東に位置する、現在の富田林市で、養鶏業を営む農家の長女として生まれました。
養鶏業といっても軒先で鶏を育てて売る程度だったので、暮らしは慢性的に苦しかったといいます。その上、母親は4歳の時に亡くなりました。父親はしつけは厳しく、女性にだらしがなく、よく行商などで家を留守にしたそうです。
つまり育児放棄です。
そのためキクノは年下の弟の面倒を見るなど家事に忙しく、小学校へも行けず仕舞い。近所に住む母方の祖母だげか唯一の頼りだったようです。
そのうち父親は居酒屋で働く女性と結婚。そのおかげでキクノは8歳になって初めて小学校へ行けるようにりました。しかし、それも2か月後で終わり。継母が家出をしたため、再び家事をしなくてならなくなったのです。
ただ働きの奉公時代
間もなくすると、キクノは大阪の繁華街、道頓堀の仕出し料理屋に奉公に出されました。つまり、住み込みアルバイトです。それも8歳の少女ですから、
今なら労働基準法違反です。
小学校にほとんど通っていないキクノは、当然ろくに読み書きがでません。それでも、朝から晩まで忙しい合間に、当時フリガナが振ってあった新聞をトイレに持ち込んで勉強したといいます。
この時、キクノの仕事の一つが、芝居小屋に弁当を運ぶことでした。舞台のそでから演じる役者を見ながら、よくセリフを全部覚えてしまったようです。
もともと女優として素質あったかもしれません。
馬車馬のように働き、時には主人の言葉によるセクハラにも耐えたキクノ。奉公生活は8年にも及び、年も16歳になっていました。しかし、それまでの給金はなし!
つまり8年間、無給で働いたのです。
その理由が、奉公の条件が住み込み飯付きだったということ。キクノはそれを知らされていなかったようで、あとで悔しい思いをします。
そして、父が突然店にやってきますて、店の主人に娘の8年にも及ぶ無給を猛抗議。その結果、たった15円(今の1万円ぐらい)の“退職金”を受け取ってキクノは辞めてしました。
そのあとすぐキクノは地元の酒屋へ再び奉公へ。しかし、父が酒屋と給金のことでもめたのか、3か月でキクノは解雇。そしてそのあと、地元の豪商に奉公することになりました。
この時、キクノの人生を大きく変える人物と出会います。
それは奉公先の女将さんです。彼女は町でも評判な人柄のいい人で、初めてキクノにゆっくり過ごせる時間を与えてくれたのです。しかし、肝心の給金はすべて父親の手に渡り、自分には何も残らない。そこでキクノは、女将の手引きもあって、2年後、18歳で京都へ一人旅立ったのでした。
クラブ働きから女優の道へ
何の身寄りもない京都で、すぐに仕事が見つかるはずもありません。キクノは今で言う職業安定所でカフェの女給の職を紹介され、とりあえずやってみることにしました。
カフェの女給というのは、つまりキャバ嬢です。
それまで色恋とはほとんど縁がなく、ろくに化粧もしていなかったキクノ。最初は男性客にどう接すればいいのか分かりませんでした。しかし、同僚たちの指導を受けながら慣れてくと、指名する客が付くようになります。
余裕が出てきたキクノは、周りで繰り広げらる男女のやり取りを観察するようになりました。
キクノにとって、女性について学ぶ格好の場となったのです。
しかし、幼いことから汗水たらして働くことを善としていたキクノにとって、男性のノドを鳴らして稼ぐのが性に合わなかったのでしょう。約2か月で転職します。それは、
女優業でした。
当時はやり始めた活動写真(映画)の女優には、カフェや芸者がよくスカウトされたようです。キクノも映画会社に面接後すぐに雇われました。芸名は「三笠澄子」。しかし、この会社はあまりにも弱小で、すぐに潰れてしまいます。途方に暮れたキクノでしたが、彼女の才能を片鱗に気づいた監督が小劇団に紹介してくれます。
その劇団は村田栄子という女優が代表とともに看板女優も務めていました。彼女はそのころ当地の演劇界では実力もあり名が知れる存在でした。
キクノは芝居の師匠に巡りあったのです。
最初は劇団の女中扱いでしたが、端役で出演し始め、徐々にセリフある役へと格上げになりました。まったく新しい世界でしたが、辛い奉公時代で培った忍耐力で乗り越えていったのでしょう。キクノは徐々に劇団にはなくてはならない女優になりました。しかし、こともあろうに、
師匠のパワハラが始まります。
顔立ちが良く、演技力もついてきたキクノによって、自分の絶対的地位が危なくなったと思ったのでしょうか。村田はキクノに辛く当たるだけでなく、暴力を振るうようになりました。そんな姿を見かねた劇場主が、彼女を東亜キネマの撮影所に紹介します。
東亜キネマは京都のほかに兵庫にも撮影所を持ち、日本の無声映画の黎明期に多くの映画人を輩出。京都の撮影所は足利将軍家の菩提寺・等持院にありました。
劇団から再び映画業界に戻ったキクノ。力量を身につけていた証拠に、35円の月給ももらえることになりました。(当時の大卒初任給が約70円ぐらい)このときはじめて「香住千栄子」という芸名もつけてもらい、しばらくするとビックチャンスが訪れます。。
映画の準主役にキャスティングされたのです。
それは無声映画「帰ってきた英雄」(1926年・大正15年)。このあとキクノは、会社の新スターとして人気が出ましたが、この会社も経営難に。所属俳優のリストラが始まります。実力派のキクノとは関係がなかったはずですが、会社のやり方に我慢のできなかったのか、他の俳優と一緒に辞めてしまいました。
キクノの「弱者に対する深い同情心」と「不公平に対する強い憤り」は、それまでの苦難の人生で培われたのでしょう。
やっと掴んだ幸せも、その後、悲劇?
キクノは紆余曲折があって俳優・市川百々之助の独立プロダクションに参加。ここで最後まで残る「浪花千栄子」という芸名になりました。ここで、キクノは数本の映画で重要な役を演じましたが、なんとここでもギャラが貰えなかったのです。
その後、市川が古巣の帝国キネマに戻るのに合わせて、キクノは大阪に移転しました。月給100円と決められましたが、信じられないことに再び支払われなかったといいます。
プロの女優になってからの、ただ働き。
キクノは度重なるノーギャラに我慢できず、帝国キネマとの契約を破棄しました。その後、フリーの俳優として数本映画に出演しましたが長続きがせず、再び舞台に仕事を求めます。
それが1929年(昭和4年)に参加した松竹映画が持つ「新潮劇」。松竹は当時から業界最大手の映画会社かつ芝居の興行主でした。
しかし、収入が十分得られなかったのか、キクノは道頓堀の芝居茶屋「岡島」に住み込みで女中をして家計の足しにしました。そこは長年奉公した芝居茶屋と目と鼻の先でした。
まさに芝居茶屋の女中に逆戻りです。
しかし、今回はキクノにとって辛いどころか、幸運をもたらしました。この岡島に居候していたのが、「運命の人」喜劇俳優の渋谷天外だったのです。
渋谷天外の本名は渋谷一雄。彼が10歳の時に死別した父の初代天外は、喜劇役者として人気でした。その御曹司だった一雄に対して、松竹は俳優、そして劇作家として期待していました。
1928年(昭和3年)から、上方の喜劇役者・曾我廼家 十吾と天外は新しい劇団「松竹家庭劇」を任されていました。キクノは天外に誘われるままに劇団の公演に参加。この時をきっかけに、二人の仲は公私に親密になったと思われます。
しかし、問題は天外の女好き。
「女遊びは芸の肥やし」と言わんばかりに天外の女遊びは激しかったといいます。器量のよいキクノは、そんな天外のプライベートの世話も焼いていたそうです。
苦難の乗り越えてきたキクノにとって、天外の女遊びは耐えられるものだったのでしょうか。
そんな二人とは対照的に、松竹家庭劇は今一つ人気が出ませんでした。天外が単に喜劇ではなく、ドラマ性を重視していたからと言われています。劇団は地方巡業を余儀なくされました。もちろんキクノも帯同します。
当時、日本に併合されていた朝鮮。ここへも劇団は巡業に赴いています。異国の地ということもあり、キクノと天外の気持ちがより親密になったのでしょうか。
二人は結婚して、しまったのです。
ここで「してしまった」としたのは、その後、この結婚が無残な終わりを告げることになるからです。つづきは、後編をご覧ください■。
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